河野典男
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1928年11月19日、東京府荏原郡東調布町(現・大田区)に生まれる[1]。東京実業学校、海兵団砲術学校を経て、1953年に明治大学商学部を卒業した。
1953年、父・河野一三と五島慶太の縁で東急電鉄に入社し、改札係、車掌、運転士などを経験した。その後、私鉄経営者協会への派遣、本社勤労部勤務などを経て、1961年に東急建設へ出向した[2]。
東急建設では総務課係長、総務部長、横浜副支店長などを歴任し、1973年に取締役、1976年に常務、1981年に専務、1988年に副社長に就任した。専務時代には東急道路と世紀建設の合併交渉にも関わっている[1]。
1992年に世紀東急工業の社長に就任し、同社の経営を主導した(後に会長)[1]。
また、明治大学OBの親睦団体である連合駿台会(茗水クラブと明友クラブの合併により2002年に発足)の初代会長(2002-2004年)と第3代会長(2008-2010年)を務めた[2]。2012年には明治大学顧問にも就任した[3]。
2020年1月23日、心不全のため死去。91歳没。告別式は同年1月30日、品川区の桐ケ谷斎場で執り行われ、喪主は長女・典子が務めた[1]。