河野秀男
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長野県下伊那郡河野村(現豊丘村)生まれ。1889年(明治22年)体育伝習所(現筑波大学体育専門学群)を卒業後、帰郷し飯田学校の体育教員となったが、再度上京し、1896年(明治29年)東京法学院(現中央大学)卒業。
1897年(明治30年)文官高等試験に合格し、1898年(明治31年)司法省属となり、1900年(明治33年)会計検査院に転じて1905年(明治38年)衆議院書記官を兼任し、1933年(昭和8年)会計検査院長となる。1934年(昭和9年)勲一等瑞宝章・勲一等旭日大綬章受勲。1938年(昭和13年)退官し、没する一ヶ月前の同年2月16日に貴族院議員(勅選議員)となった[2]。墓所は多磨霊園。
この間、会計検査官懲戒裁判所裁判官、官有財産調査委員会、預金部資金運用委員会の各委員等を務めた。