沸流
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夫余の部族である桂婁部の姫召西奴は、夫余の部族王である解扶婁の孫の優台と結婚し、沸流と温祚の二人の息子を生む。優台は早くに亡くなり、未亡人の召西奴は高句麗の始祖となる朱蒙と出会う[2]。朱蒙と召西奴は恋に落ち、結婚したが、紀元前19年、朱蒙の北夫余時代の妻である礼氏と彼女の生んだ息子類利(るいり、ユリ、後の瑠璃明王)が夫余から逃れてきた。これを喜んだ朱蒙は類利を太子とし、礼氏を第一夫人にし、召西奴を第二夫人にする[2]。傷ついた召西奴は息子の沸流と温祚と家臣とその一族、そして桂婁部の民とともに南下した。沸流は海辺に住みたいと弥鄒忽に行った。温祚は家臣と力を合わせて河南地域に慰礼城を築き、国を建て、国名を十済とした[2]。沸流の選んだ弥鄒忽の地は、湿気の多い土壌で、浸水も多く、民衆は沸流が亡くなるとすぐに慰礼城に戻った[2]。