沼隈町
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| ぬまくまちょう 沼隈町 | |||||
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磐台寺観音堂 | |||||
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| 廃止日 | 2005年2月1日 | ||||
| 廃止理由 |
編入合併 広島県沼隈郡沼隈町 → 福山市 | ||||
| 現在の自治体 | 福山市 | ||||
| 廃止時点のデータ | |||||
| 国 |
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| 地方 | 中国地方(山陽地方) | ||||
| 都道府県 | 広島県 | ||||
| 郡 | 沼隈郡 | ||||
| 市町村コード | 34482-6 | ||||
| 面積 | 30.93 km2 | ||||
| 総人口 |
12,606人 (2004年3月31日) | ||||
| 隣接自治体 | 福山市、尾道市 | ||||
| 町の木 | ウバメガシ | ||||
| 町の花 | スミレ | ||||
| 沼隈町役場 | |||||
| 所在地 |
〒720-0311 広島県福山市沼隈町草深1889-6 | ||||
| 外部リンク | 沼隈町HP(2005年1月30日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project | ||||
| 座標 | 北緯34度23分25秒 東経133度19分07秒 / 北緯34.39017度 東経133.31872度座標: 北緯34度23分25秒 東経133度19分07秒 / 北緯34.39017度 東経133.31872度 | ||||
| 特記事項 | 当時の町役場は、現在は福山市沼隈支所として使われている。 | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
沼隈町(ぬまくまちょう)は、広島県に存在する町。
昭和の大合併により昭和30年(1955年)に誕生した[1]。2005年2月1日に福山市へ編入された。合併後の地名は「広島県福山市沼隈町」。
主要施設
地理
名所・旧跡
- みろくの里
- 磐台寺観音堂(阿伏兎観音)国の重要文化財 - 奉納行事として毎年1月の第2日曜日に能登原とんどが行われる[5]。
- 道の駅アリストぬまくま
- 平家谷菖蒲園[6]
- 枝広邸
- 光照寺 - 鎌倉時代末期に浄土真宗の一派であった明光が沼隈半島に進出し、元応2年(1320年)現在の沼隈町山南に光照寺を築き、そこを西国の布教の拠点とし、後に安芸門徒と呼ばれる熱心な真宗門徒の発祥の地となった[7]。
- 内海大橋
- 唐樋門[8]
- 敷名の千年藤[9]
- 神勝寺- 昭和40年(1965)に初代町長で常石造船2代目社長だった神原秀夫(1916-1977)が開いた禅寺で、父親で同社創業者の神原勝太郎に因んで寺の名とした。名刹を模したものや移築、中村昌生、藤森照信設計の建造物などがあるほか、2016年には「神勝寺庭と禅のミュージアム」が開業した[10]。
産業
- 農業としてはい草やブドウの生産が行われている。イグサを何重にも織り込んだ畳表の名産地として古くから知られていたが、1950年代以降、耕地面積の広い他県の産地の攻勢により将来的な不安が生じ、その打開策として神原町長の発案で全国的にも珍しい「町ぐるみの海外移住」計画が立案され、沼隈町備後開拓団として1956年からの2年間で400名以上がパラグアイのラパスに移住した[3][11]。原生林開拓の過酷さに半数が離村したが、定住者はのちに大豆・小麦の大型農場経営を成功させた[3]。
- 工業としては造船業がある。昭和のはじめごろ、外常石に三軒(西浜・中浜・塩浜)、常石の大越に一軒(藤井)、敷名に四軒(波多見屋・大浜屋・沖西屋・橘屋)の造船所があり、西洋式帆船を被曳船や機帆船に改造する仕事が盛んだった[10]。太平洋戦争勃発により輸送需要が急増したため、国は建造力の向上を図るため外常石と大越にある造船所を常石造船に、敷名にある造船所は敷名造船に統合させ、『戦標船』(戦時標準型船)とよばれる輸送船を造らせた[10]。
- 海運業として神原汽船などがある。
大字
- 上山南(かみさんな)
- 草深(くさぶか)
- 下山南(しもさんな)
- 常石(つねいし)
- 中山南(なかさんな)
- 能登原(のとはら)
