法心院

From Wikipedia, the free encyclopedia

法心院(ほうしんいん、天和2年(1682年) - 明和3年6月2日1766年7月8日))は、江戸幕府第6代将軍徳川家宣側室。名は古牟。別称に一之御部屋、右近局[1]

天和2年(1682年)、町医者・太田宗庵の娘として誕生する[2]

元禄15年(1702年)、家宣がまだ綱豊と称していた頃に、御湯殿掛の御末として桜田御殿に奉公に上がる。長じて御次に昇進し、宝永元年(1704年)家宣が綱吉世子として江戸城西の丸へ移ったのに伴い、奥女中として西の丸の大奥へ入る。後に家宣の寵愛を受けて御中臈に昇格した[3][4]

宝永4年(1707年)7月、家千代を出産する。以後は一之部屋様と呼ばれるようになる。しかし、同年9月に家千代は早世した。

宝永6年(1709年)、家宣の将軍就任に伴い本丸大奥へ移り、御所風に右近局(右近の方)と称せられるが、正徳2年(1712年)に家宣は病没。落飾して法心院と号した。後に西の丸へ、馬場先御用屋敷へ、さらに享保17年(1732年)に浜御殿へ転々と移住をする。

明和3年(1766年)、85歳にて死去。法名は法心院殿遍浄至覚大姉。上野東叡山光林院に埋葬された。

関連作品

脚注

出典

Related Articles

Wikiwand AI