法皇塚古墳
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| 法皇塚古墳 | |
|---|---|
|
墳丘(左に後円部、右に前方部) | |
| 別名 | 法王塚/鳳凰塚 |
| 所属 | 国府台古墳群 |
| 所在地 |
千葉県市川市国府台 (東京医科歯科大学国府台キャンパス内) |
| 位置 | 北緯35度44分47.11秒 東経139度54分11.37秒 / 北緯35.7464194度 東経139.9031583度座標: 北緯35度44分47.11秒 東経139度54分11.37秒 / 北緯35.7464194度 東経139.9031583度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長54.5m(推定復原) 高さ5.7m(後円部) |
| 埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
| 出土品 | 副葬品多数・埴輪 |
| 築造時期 | 6世紀後半 |
| 史跡 | なし |
| 地図 |
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(360°インタラクティブパノラマで見る)

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法皇塚古墳(ほうおうづかこふん、法王塚/鳳凰塚[1])は、千葉県市川市国府台にある古墳。形状は前方後円墳。国府台古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。
千葉県北西部、江戸川下流左岸の台地上に築造された古墳である[2]。台地上では前方後円墳3基を含む国府台古墳群の築造が知られ、本古墳はそのうちの1基になる[2]。現在は東京医科歯科大学国府台キャンパス構内に所在する。かつて墳頂には国府台天満宮が祀られていたが、1875年(明治8年)の大学建設による用地買収に伴い、北西約300メートルの地に遷座している。また古墳周辺は戦前に軍用地となったため、その整備により墳丘が一部破壊・石垣化などの改変を受けているほか[1]、これまでに数次の発掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を北西方向に向ける。墳丘長は推定復原で54.5メートルを測り、国府台古墳群のうちでは最大規模になる。墳丘外表では円筒埴輪・形象埴輪が検出されており[3]、これらは在地産(下総型埴輪)と生出塚埴輪窯産(埼玉県鴻巣市)とからなる[1]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、後円部において南西方向に開口した[3]。石室内部は盗掘に遭っているものの、発掘調査では馬具・武具・装身具などの多くの副葬品が検出されている[3]。
この法皇塚古墳は、古墳時代後期の6世紀後半[4](または6世紀中葉[1])頃の築造と推定される。旧東葛飾郡南部では国府台地域以外に古墳が少なく、本古墳は一帯を治めた首長の墓と推測される[4]。周辺は下総国府の推定地であり、また下総国分寺・下総国分尼寺が所在するなど、律令制下においても下総国の中心地であったことが知られる。
遺跡歴
墳丘
埋葬施設
出土品
- 装身具
- ガラス製棗玉 2
- ガラス製管玉 9
- ガラス製丸玉 296
- ガラス破片 14
- 碧玉製管玉 3
- 金銅製中空玉 2
- 銀製中空玉 4
- 銅釧 2
- 金環 1
- 武器
- 大刀 2
- 小大刀 1
- 鍔 1 - 銀象嵌文様を有する。
- 鉄製鍔 1
- 銀製ねじり環頭 1
- 金銅製鞘飾金具片 1
- 金銅製鞘尻金具 1
- 刀子 9
- 鹿角製刀装具片 1
- 鉄鏃 90以上
- 弓飾金具 9
- 武具
- 馬具
- 鉄地金銅張鏡板付轡 1
- 鉄製環状鏡板付轡 1
- 鞍 1
- 鉄地金銅張辻金具 1
- 鉄製辻金具 2
- 鉄地金銅張雲珠 3
- 鉄製鉸具 2
- 鉄製輪鐙 1
- 半球形飾金具 67
- 埴輪
- 衝角付冑
- 家形埴輪
関連施設
- 市川市立市川考古博物館(市川市堀之内) - 法皇塚古墳からの出土品等を展示。
