明戸古墳
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所属
国府台古墳群
所在地
千葉県市川市国府台里見公園内
位置
北緯35度44分54.7秒 東経139度53分54.0秒 / 北緯35.748528度 東経139.898333度座標: 北緯35度44分54.7秒 東経139度53分54.0秒 / 北緯35.748528度 東経139.898333度
形状
前方後円墳
| 明戸古墳 | |
|---|---|
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明戸古墳石棺 | |
| 所属 | 国府台古墳群 |
| 所在地 | 千葉県市川市国府台里見公園内 |
| 位置 | 北緯35度44分54.7秒 東経139度53分54.0秒 / 北緯35.748528度 東経139.898333度座標: 北緯35度44分54.7秒 東経139度53分54.0秒 / 北緯35.748528度 東経139.898333度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 | 全長40メートル |
| 築造時期 | 6世紀後半 |
| 被葬者 | 不明 |
| 地図 |
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(360°インタラクティブパノラマで見る)

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明戸古墳(あけどこふん)は千葉県市川市にある古墳。国府台城の土塁とされていたため、古墳としての判断がつかなかったが、石棺付近の不自然な屈曲により、前方後円墳と判断された[1]。6世紀後半ごろ作られた。市川市の古墳の中で墳丘が現存するのは国府台の4基のみで、法皇塚古墳, 弘法寺古墳と共に、旧下総国葛飾郡域最大の国府台古墳群の主要古墳である[2]。
構造
市川市国府台3丁目、里見公園内にあり、江戸川に面し、下総台地西縁部の台地上に立地している[10]。2基の露出した箱式石棺をもとに想定したものである。石棺は里見公園のほぼ中央に位置している[10]。
国府台合戦あるいは中世の館のの造営に伴って土塁や濠をめぐらせたりしたために地形を変えてしまい、2基の箱型石棺も古墳の封土が削り取られ、露呈してしまったと考えられる[10]。以上のことから墳形および規模に関しては、それを復原するべき根拠に乏しく、正確な数値は得ることはできない[11]。
1982年(昭和57年)2月19日から26日にかけて大塚初重明治大学教授の指導のもとに実施された実測調査において、一応の復原値として、全長約40m、後円部径約21m、前方部前端部幅約28mであり、その主軸方位は、N-38°-Wを示す。前方部においては、標高28.69m、後円部では28.65mを示している[12]。その前方部の高さについては、5.1mを測る[12]。

