法蔵 (百済) From Wikipedia, the free encyclopedia 法蔵(ほうぞう、生没年不詳)は、飛鳥時代の僧侶。百済からの渡来人。 時期からして白村江の戦いで倭国に亡命した渡来人の一人だと思われる。 『日本書紀』巻第二十九によると、天武天皇14年(685年)、仏教の在家信者(優婆塞)の益田金鐘とともに美濃(岐阜県南部)に派遣され、天皇の病を治療するために白朮(オケラ)を煎じた。これによって絁・綿・布をあたえられた[1]。同年11月、金鐘とともに10月に煎じた白朮の薬を献上している[2]。 その後、陰陽博士になり、持統天皇6年(692年)、天皇の伊勢行幸に関与して、銀二十両を賜与されている[3]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『日本書紀』天武天皇下 14年10月8日条 ↑ 『日本書紀』天武天皇下 14年11月24日条 ↑ 『日本書紀』持統天皇6年2月11日条 参考文献 『日本書紀』(五)岩波文庫、1995年 『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年 『日本古代氏族人名辞典』、吉川弘文館、坂本太郎・平野邦雄監修、1990年 関連項目 三輪高市麻呂 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles