津守国基

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時代 平安時代後期
生誕 治安3年(1023年
 
津守国基
時代 平安時代後期
生誕 治安3年(1023年
死没 康和4年7月7日1102年8月22日
官位 従五位下
主君 後冷泉天皇後三条天皇白河天皇
氏族 津守氏
父母 父:津守基辰または津守信国[1]または津守忠康[2]、母:津守頼信
広基有基宣基、増命、仲基景基
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津守 国基(つもり の くにもと)は、平安時代後期の貴族神官歌人津守基辰または津守信国または津守忠康の子。位階従五位下。住吉神社神主。藤井(戸)神主と号す。

康平3年(1060年住吉神社の39代神主となり[3]、神社経営に成果を挙げた。延久元年(1069年)従五位下に叙せられている。

応徳元年(1084年白河天皇勅願により荘厳浄土寺を再興[4][5]

広く京の歌人たちと交流し、歌合にも盛んに参加していた。『万葉集』を重んじるなど当時としては新しい試みを行っている。『後拾遺和歌集』の撰者通俊小鯵を送って入集を願ったので後拾遺集は小鯵集の異名で呼ばれたという逸話が残されている[3]。『後拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に和歌20首が入集している[2]。また、家集に『津守国基集』(『国基集』)がある。箏にも優れていた[6]だけでなく、競馬の騎者、神楽の人長[7]・舞の師として各方面から重宝がられた[3]

系譜

脚注

参考文献

関連項目

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