津守国基
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康平3年(1060年)住吉神社の39代神主となり[3]、神社経営に成果を挙げた。延久元年(1069年)従五位下に叙せられている。
応徳元年(1084年)白河天皇の勅願により荘厳浄土寺を再興[4][5]。
広く京の歌人たちと交流し、歌合にも盛んに参加していた。『万葉集』を重んじるなど当時としては新しい試みを行っている。『後拾遺和歌集』の撰者通俊に小鯵を送って入集を願ったので後拾遺集は小鯵集の異名で呼ばれたという逸話が残されている[3]。『後拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に和歌20首が入集している[2]。また、家集に『津守国基集』(『国基集』)がある。箏にも優れていた[6]だけでなく、競馬の騎者、神楽の人長[7]・舞の師として各方面から重宝がられた[3]。