津島市立南小学校

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国公私立の別 公立学校
設置者 津島市
設立年月日 1872年(明治5年)
共学・別学 男女共学
津島市立南小学校
北緯35度10分8.8秒 東経136度43分40.0秒 / 北緯35.169111度 東経136.727778度 / 35.169111; 136.727778座標: 北緯35度10分8.8秒 東経136度43分40.0秒 / 北緯35.169111度 東経136.727778度 / 35.169111; 136.727778
国公私立の別 公立学校
設置者 津島市
設立年月日 1872年(明治5年)
共学・別学 男女共学
学校コード B123210004991 ウィキデータを編集
所在地 496-0833
愛知県津島市常盤町4丁目20番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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津島市立南小学校(つしましりつ みなみしょうがっこう)は、愛知県津島市にある公立小学校。1872年(明治5年)に設立された義校にルーツを持ち、津島市でもっとも歴史の古い小学校である。2017年度(明治29年度)の児童数は458人[1]

  • 1872年(明治5年)4月1日 開校。延命寺と雲居寺に義校が設置される[1]。延命寺には第11義校の擇善学校が設置され、雲居寺には第14義校の春朗学校が設置された[2]
  • 1875年(明治8年)擇善学校が春朗学校を合併
  • 1876年(明治9年)擇善学校が津島学校となる
  • 1877年(明治10年)津島学校が藤浪学校と有根学校を合併。同年光琳坊に第一分教場が、兼平に第二分教場が、七軒屋に第三分教場が、新開に第四分教場が開設される
  • 1887年(明治20年)津島学校が尋常小学津島学校になり、光琳坊、新開の分教場が閉鎖される[2]
  • 1891年(明治24年)濃尾大震災により本校と兼平、七軒屋分教場が倒壊する
  • 1892年(明治25年)尋常小学津島学校が津島尋常小学校になる
  • 1906年(明治39年)津島尋常小学校が有根尋常小学校を合併
  • 1912年(大正元年)津島尋常小学校が津島第一尋常小学校になる
  • 1915年(大正4年)津島第一尋常小学校が津島尋常高等小学校を合併。津島第一尋常高等小学校となる[2]

津島高等小学校歴史

  • 1880年(明治13年)西福寺(津島市西御堂町)に海東郡海西郡共立陶成学校(教員養成学校)が設置される。この頃は1学年制の男子校であった。[2]
  • 1887年(明治20年)陶成学校が第一高等小学校となり津島市今市場町に移転。同年、第一高等小学校分校が弥富に、第二高等小学校が蟹江町に、第三高等小学校が甚目寺町に開校。共学になる。[2]
  • 1888年(明治21年)第一高等小学校が海東郡海西郡立津島高等小学校に変更。第一高等小学校分校は前ヶ須分校に、第二高等小学校は蟹江分校に、第三高等小学校は甚目寺分校になる。
  • 1893年(明治26年)1月16日 海東郡海西郡立津島高等小学校が海東郡39ヶ町村組合立津島高等小学校となる。[2]
  • 1897年(明治30年)学校図書館が開設される。
  • 1898年(明治31年)海東郡39ヶ町村組合立津島高等小学校から津島女子高等小学校が独立。
  • 1903年(明治36年)海東郡39ヶ町村組合立高等小学校が津島町外12ヶ村組合立津島高等小学校になる。
  • 1904年(明治37年)学校図書館が郡立海東郡図書館になる。
  • 1907年(明治40年)津島町外12ヶ村組合立津島高等小学校が津島町外4ヶ村組合立津島高等小学校になる。
  • 1909年(明治42年)組合解散。津島高等小学校は廃校となり藤里尋常高等小学校に合併される。
  • 1912年(大正元年)藤里尋常高等小学校が津島尋常高等小学校になる。

津島南小学校歴史

  • 1947年(昭和22年)津島第一尋常高等小学校が津島市立第一小学校になる。
  • 1948年(昭和23年)9月18日 津島市立第一小学校が津島市立南小学校になる。


小説家の坪内鋭雄は名古屋市生まれだが本校出身であり、愛知中学校から早稲田大学に進学した。1925年(大正14年)から1936年(昭和11年)には江上定義が校長を務めた。このように本校は複雑な経緯をたどり、1872年から11度も校名の変更を行っているが、1948年(昭和23年)には現在の津島市立南小学校に改称して落ち着いた[1]


歴代校長

著名な卒業生

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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