洲宮神社
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| 洲宮神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 千葉県館山市洲宮921 |
| 位置 | 北緯34度57分09秒 東経139度50分17秒 / 北緯34.95250度 東経139.83806度座標: 北緯34度57分09秒 東経139度50分17秒 / 北緯34.95250度 東経139.83806度 |
| 主祭神 | 天比理乃咩命 |
| 社格等 |
式内社(大)論社 旧県社 |
| 創建 | (伝)神武天皇元年 |
| 本殿の様式 | 神明造 |
| 例祭 | 8月9日 |
| 地図 | |
歴史
概史
大同2年(807年)成立の『古語拾遺』では、神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸して開拓した後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとするが、社伝によれば神武天皇元年に天富命が魚尾山に神社を創建し、当時海辺にあったことから「洲神」や「洲宮」と呼ばれたとする。
「天比理刀咩神」は度々六国史に登場し、神階の陞叙を受けている(「洲崎神社#神階」参照)。
延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では安房国安房郡に「后神天比理乃咩命神社 大 元名洲神」と記載され、天比理乃咩命神社は大社に列格された。洲宮神社はこの天比理乃咩命神社の論社の1つで、もう1つの論社である洲崎神社と、どちらが式内社であるか江戸時代から争うようになる。
『洲崎神社伝記』では、洲宮神社は始め明神山の洲の辺に鎮座していたが、後に魚尾山へ遷座、文永10年(1273年)10月15日の夜に発生した火災により社殿を焼失して長らく仮宮に鎮座し、永享11年(1439年)10月に現在地へ遷座したと伝える。ただし、現在地からも祭祀に使われた鏡や土器が出土しており、この地でも古代に祭祀が行われていたことがわかる。
前述の通り、后神天比理乃咩命神社を巡っては、洲宮神社と洲崎神社の間で長らく論争となっていた。明治5年(1872年)神祇を管轄する教部省は洲宮神社を式内社と定めたが、翌6年(1873年)にこの決定を覆して洲崎神社を式内社とした。ただし、この決定の論拠はあまり明白で無いとされ、また洲宮神社では文永10年の火災で古記録を失った事が式内社指定変更の原因の1つとなったと主張しているのだと言う[2]。近代社格制度では県社に列格されている。
神階
- 「洲崎神社#神階」を参照
