安陽市の洹河北岸、殷墟遺跡北西の花園荘付近で発見され、花園荘からさらに南・北・東に広がる都市遺跡の存在が明らかになった。ほぼ正方形の1辺2100m - 2200mほどの版築の城壁が周囲を囲んでいる。遺跡の中心部には宮殿跡とみられる1号建築基壇・2号建築基壇が発見されている。城内からは住居跡・井戸・灰坑・墓などの遺構が発見され、文化堆積層は厚く、殷代遺物の出土も豊富である。
築城の年代は小双橋遺跡より遅く、殷墟より早い時期と考えられている。出土している土器の年代を根拠として、第19代盤庚の遷都した「殷」の地とみなし、殷墟遺跡を武丁以後の殷都とする考えがある。