浄楽寺37号墳
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| 浄楽寺37号墳 | |
|---|---|
|
墳丘 | |
| 別名 | 浄楽寺第37号古墳/旧常楽寺2号墳 |
| 所属 | 浄楽寺古墳群 |
| 所在地 |
広島県三次市高杉町 (広島県立みよし風土記の丘内) |
| 位置 | 北緯34度46分15.20秒 東経132度53分59.40秒 / 北緯34.7708889度 東経132.8998333度座標: 北緯34度46分15.20秒 東経132度53分59.40秒 / 北緯34.7708889度 東経132.8998333度 |
| 形状 | 円墳 |
| 規模 |
直径29.5m 高さ4.3m |
| 埋葬施設 | 箱式石棺 |
| 出土品 | 壺形埴輪片・土師器片 |
| 築造時期 | 古墳時代中期初頭 |
| 史跡 | 国の史跡「浄楽寺・七ツ塚古墳群」のうち |
| 地図 | |
浄楽寺37号墳(じょうらくじさんじゅうななごうふん、浄楽寺第37号古墳/旧常楽寺2号墳)は、広島県三次市高杉町にある古墳。形状は円墳。浄楽寺古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「浄楽寺・七ツ塚古墳群」のうち)。

墳頂の箱式石棺
採集資料
広島県立歴史民俗資料館展示。広島県北部、美波羅川の西岸丘陵帯のうち、最も北寄りの尾根上に築造された古墳である。同一丘陵上では古墳116基からなる浄楽寺古墳群が分布する。1954年(昭和29年)に「常楽寺2号墳」の名称で発掘調査が、1994年(平成6年)に墳丘測量調査が実施されている。
墳形は円形で、直径29.5メートル・高さ4.3メートルを測り、浄楽寺古墳群では12号墳に次ぐ2番目の規模になる[1][2]。墳丘は2段築成[1]。墳丘外表では一部で葺石が露出するほか[1]、壺形埴輪片・土師器片が採集されている(採集数が少なく、数個体のみの少数配置か)[2]。また墳丘周囲には、南側で幅8メートル・深さ2メートル、北側で幅4メートル・深さ0.5メートルの周溝が巡らされる[1]。埋葬施設は墳丘中央部における箱式石棺1基で、昭和29年に調査されて現在も露出する。石室内は赤彩されており、厚い礫床や石枕状の石が確認されているが、人骨・副葬品は出土していない。
築造時期は、古墳時代中期初頭の前方後円墳集成4期の後半以前頃と推定される[2]。浄楽寺12号墳に先立つ時期の築造とみられ、また古墳群中で発掘調査がおこなわれた数少ない古墳の1つでもあり、典型的な中期群集墳である浄楽寺・七ツ塚古墳群の成立や実態を考察するうえで重要視される古墳になる。
遺跡歴
埋葬施設
関連施設
- みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館)(三次市小田幸町) - 浄楽寺37号墳の箱式石棺複製を再現展示。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
- 植田千佳穂「史跡浄楽寺・七ッ塚古墳群測量調査報告」『広島県立歴史民俗資料館研究紀要』第4集、広島県立歴史民俗資料館、2003年3月29日、24-48頁。
- 植田千佳穂「史跡浄楽寺・七ッ塚古墳群測量調査報告II」『広島県立歴史民俗資料館研究紀要』第5集、広島県立歴史民俗資料館、2005年3月22日、17-33頁。
- 下江裕貴、村田晋「史跡浄楽寺・七ツ塚古墳群の採集資料 -浄楽寺第37号古墳と七ツ塚第11・49号古墳- (PDF)」『広島県立歴史民俗資料館研究紀要』第9集、広島県立歴史民俗資料館、2020年3月20日、21-32頁。 - リンクは広島県ホームページ。