浄楽寺12号墳
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| 浄楽寺12号墳 | |
|---|---|
|
墳丘 | |
| 別名 | 浄楽寺第12号古墳/旧常楽寺1号墳 |
| 所属 | 浄楽寺古墳群 |
| 所在地 |
広島県三次市高杉町 (広島県立みよし風土記の丘内) |
| 位置 | 北緯34度46分18.40秒 東経132度53分56.98秒 / 北緯34.7717778度 東経132.8991611度座標: 北緯34度46分18.40秒 東経132度53分56.98秒 / 北緯34.7717778度 東経132.8991611度 |
| 形状 | 円墳 |
| 規模 |
直径44.5m 高さ5-6m |
| 埋葬施設 | 粘土槨2基 |
| 出土品 | 玉類・鉄製品・埴輪 |
| 築造時期 | 4世紀末-5世紀前半 |
| 史跡 | 国の史跡「浄楽寺・七ツ塚古墳群」のうち |
| 地図 | |
浄楽寺12号墳(じょうらくじじゅうにごうふん、浄楽寺第12号古墳/旧常楽寺1号墳)は、広島県三次市高杉町にある古墳。形状は円墳。浄楽寺古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「浄楽寺・七ツ塚古墳群」のうち)。

広島県北部、美波羅川の西岸丘陵帯のうち、最も北寄りの尾根上に築造された大型円墳である。同一丘陵上では古墳116基からなる浄楽寺古墳群が分布する。1954年(昭和29年)に「常楽寺1号墳」の名称で発掘調査が、2020年(令和2年)に墳丘測量調査が実施されている。
墳形は円形で、直径44.5メートル・高さ5-6メートルを測る[1]。浄楽寺古墳群では最大規模で、円墳としては広島県内でも最大級の規模になる[1]。墳丘は2段築成。墳丘外表では斜面に葺石が施され、円筒埴輪列・形象埴輪(家形・壺形埴輪)が確認されている[1][2]。墳丘周囲では周溝は認められていないが、墓域を区画する堀切が認められている[1]。埋葬施設は墳頂部における粘土槨2基で、いずれも頭部を南東方向に向けて、木棺上を粘土で被覆していたとされる[3]。北東粘土槨(A主体)は長さ4.2メートル・幅0.6メートルで、床面に小石を敷き詰め、鉄鏃・刀子・鉄片が出土している。南西粘土槨(B主体)は長さ2.4メートル・幅0.4メートルで、ガラス小玉・瑪瑙製勾玉が出土している[3]。なお、現在の墳頂部では陥没坑が認められ、発掘調査後に盗掘に遭った可能性がある[1]。
築造時期は、古墳時代中期の4世紀末-5世紀前半頃と推定される[2]。中期群集墳である浄楽寺・七ツ塚古墳群を代表する古墳、かつ古墳群中で発掘調査がおこなわれた数少ない古墳の1つとして、浄楽寺・七ツ塚古墳群の成立や実態ひいては三次地域の古代史を考察するうえで重要視される古墳になる[1]。
遺跡歴
出土品
昭和29年調査時に報告された出土品は次の通り[2]。
- 北東粘土槨(A主体)出土
- 鉄鏃 2(または3[3])
- 刀子 2
- 鉄片 3
- 南西粘土槨(B主体)出土
- ガラス小玉 約100
- 瑪瑙製勾玉 2
出土品は調査主体の広島大学考古学研究室所蔵であるが、基礎整理作業が未了の状態で埴輪・鉄器を中心とする遺物が広島県立歴史民俗資料館に貸し出されたとみられ、調査当時の報告では一部の実測図の掲載にとどまる。近年の広島県立歴史民俗資料館における資料整理では、次の遺物群が再確認されている[2]。
- 瑪瑙製勾玉(片面穿孔)
- 刀子(片関)
- 鉄鏃(狭身有軸式)
- 短甲片(革綴)
- 円筒埴輪(III群)
- 壺形埴輪(筒状)
関連施設
- みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館)(三次市小田幸町) - 浄楽寺12号墳の出土品を展示。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
- 植田千佳穂「史跡浄楽寺・七ッ塚古墳群測量調査報告」『広島県立歴史民俗資料館研究紀要』第4集、広島県立歴史民俗資料館、2003年3月29日、24-48頁。
- 加藤光臣、脇坂光彦「浄楽寺第12号古墳の測量調査報告 (PDF)」『広島県立歴史民俗資料館研究紀要』第10集、広島県立歴史民俗資料館、2025年3月28日、1-13頁。 - リンクは広島県ホームページ。
- 村田晋、岸本晴菜「浄楽寺第12号古墳の出土・採集遺物 (PDF)」『広島県立歴史民俗資料館研究紀要』第10集、広島県立歴史民俗資料館、2025年3月28日、15-34頁。 - リンクは広島県ホームページ。