浄法寺五郎
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下野国那須郡黒羽町(現栃木県)出身[1][2]。浄法寺氏の末裔で、黒羽藩の城代家老を代々務めた浄法寺操の次男として生まれる。先祖に松尾芭蕉の門下であった浄法寺高勝がいる。父操は維新後、旧藩主大関子爵家の家扶を務めた。五郎は藩の重臣であった三田称平の家塾である地山堂で学んだ。
1887年(明治20年)7月[3]、陸軍士官学校(旧9期)を卒業し歩兵少尉に任官[1][2]。1892年(明治25年)12月、陸軍大学校に入学するが、日清戦争開戦のため1894年(明治27年)7月に中退[4]。戦後、1896年(明治29年)2月、陸大に復校し、1897年(明治30年)12月、陸大(11期)を優等で卒業した[1][4]。参謀本部に配属[4]。ドイツ駐在を経験した[2][4]。
1904年(明治37年)2月、オーストリア公使館付武官となる[2]。1905年(明治38年)12月、参謀本部付に転じ、陸大教官に異動[2]。1907年(明治40年)11月、歩兵大佐に昇進し第17師団参謀長に着任[2]。
1910年(明治43年)7月、第1師団参謀長に移る[5]。1912年(明治45年)4月、陸軍少将に進級し歩兵第29旅団長となる[1][2]。青島の戦いに参戦[1]。1914年(大正3年)11月、青島守備軍参謀長[1][2]。1915年(大正4年)7月、歩兵第10旅団長に移り、1916年(大正5年)3月、近衛歩兵第2旅団長に就任[1][2]。
1917年(大正6年)8月、陸軍中将に進み陸大校長に着任[1][2]。1919年(大正8年)4月、第20師団長に親補された[1][2]。1922年(大正11年)2月に待命、同年5月、予備役に編入された[1][2]。
