浅山芦国
江戸時代の大坂の浮世絵師
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来歴
須賀蘭林斎の門人。姓は浅山、俗称布屋忠三郎。芦洲(あしくに)とも称し、青陽斎、狂画堂、蘭英斎と号す。大坂の人で安堂寺町五丁目に住む。安永初年に生まれる。作画期は享和から没年にかけてで、役者絵、読本や根本の挿絵などを多く描いた。文化13年(1816年)以降は大判の役者絵も描いており、また芝居の看板絵も得意としていたといわれている。肉筆画も残す。墓所は大阪市天王寺区下寺町の遊行寺(円成院)、法名は釈順清。門人に戯画堂芦幸、芦麿、芦郷、芦友、芦尚、芦広、芦舟、芦清、浜松歌国、あし川彦国などがおり、暁鐘成も門人だったかといわれる。流光斎如圭、松好斎半兵衛らの流れとは違う役者絵の一派を成し、門人の中で戯画堂芦幸と芦麿が芦国派の画系を継承した。
作品
版本挿絵
錦絵
- 「嵐吉三郎・丹右衛門 片岡仁左衛門・城五郎」 細判 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※享和元年(1801年)10月、大坂中の芝居『伊賀越乗掛合羽』より
- 「大当狂言小わり伝内・嵐橘三郎」 大判 池田文庫所蔵 ※文化12年9月、中の芝居『敵討浦朝霧』より
- 「おくめ・嵐小六 与茂七・中村歌右衛門 太平次・あさ尾奥山」 大判3枚続 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※文政4年5月、大坂角の芝居『太平記忠臣講釈』より
- 「嵐吉三郎・あらし小糸」 大判2枚続