浅川敏靖
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甲斐国巨摩郡西井出村(のち山梨県北巨摩郡大泉村、現北杜市大泉町西井出)で、酒醸造業・浅川周蔵の四男として生まれる[2][3][4][5]。甲府徽典館で学び、小学校訓導、校長を務めたが視学官と対立して免職となり[6]、1881年、陸軍教導団に入団[2][3][4][5]。1886年6月25日、陸軍騎兵少尉に任官し[1]、同月28日、陸軍士官学校(旧8期)を優等で卒業し[7]、騎兵第1大隊小隊長に任じられた[8]。1889年5月、陸軍留学生としてドイツ帝国へ留学を命ぜられ、1892年5月に帰国した[4][9]。
1894年、日清戦争に第2軍所属の第1師団騎兵第1大隊小隊長として出征[2][4]。士官学校教官[2][4]、騎兵第1連隊長、近衛騎兵連隊長を経て、1903年6月25日、陸軍省軍務局騎兵課長に就任[1]。日露戦争では馬の調達に腐心し、豪州から馬1万頭の輸入を行うなどの対策を講じた[2][4]。
1909年9月25日、馬政局次長、1910年6月22日、馬政長官に就任し、以後10年に渡り馬政の伸展に尽力し「浅川の馬政か、馬政の浅川か」とうたわれた[1][2][4]。1914年8月8日、陸軍中将に進み、1920年8月10日、待命、同年12月1日、予備役に編入された[1][10]。
その後、中央畜産会副会長を務め、1924年から中央競馬協会の事業である『日本馬政史』の編纂に従事し、上古から1921年までの歴史を纏めた全5巻を1928年8月に完成させた[2][4]。墓所は多磨霊園。