浅野義夫
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浅野義夫は明治28年 (1895年) 10月に浅野総一郎の四男として生まれた[3]。最初は龍蔵という名前だったが、義夫に改名した[4]。大正8年 (1919年) に小樽高商を卒業すると、すぐに渡米し、ニューヨークのグレース商会 (W. R. Grace Co., New York[5]) に三年間勤務した。大正10年に帰国してからは、浅野財閥の多数の会社の重役を同時に務めた[3][4][6]。昭和12年頃は、小倉製鋼の東京出張所に毎日出勤して社務を統べた[6]。戦後の財閥解体後は、東都製鋼相談役やトピー工業最高顧問を務め、尼崎築港の大株主でもあった。1976年(昭和51年)5月15日に没した。享年80[7]。