1960年にお茶の水女子大学文教育学部史学科を卒業。1972年から1975年には二人の男児を連れて中国・北京に滞在[1]。初期の東京第一学習センターから放送大学と関わり[2]、その後東京世田谷センターに10年勤務したのち、東京世田谷学習センター所長・神奈川学習センター所長を務めた[3]。主に中国についての研究を行った。あまり知られていないが、卒業した 東京都立名門の、東京都立富士高等学校の校歌の作詞は同氏(旧姓:鯨井 時)の作品。2025年現在も歌い継がれている。
故 浜口義曠(元 農林水産省事務次官、日本中央競馬会理事長)は夫。