浦上誠宗 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不明死没 永禄10年5月18日(1567年6月24日)別名 清宗、忠宗、景宗、通称:三郎九郎 凡例浦上誠宗時代 戦国時代生誕 不明死没 永禄10年5月18日(1567年6月24日)別名 清宗、忠宗、景宗、通称:三郎九郎氏族 浦上氏父母 父:浦上政宗兄弟 忠宗、清宗、誠宗妻 黒田職隆娘子 久松丸テンプレートを表示 浦上 誠宗(うらがみ なりむね/あきむね)は、播磨国の戦国大名。浦上政宗の三男。 父・浦上政宗と兄・清宗の死後、家臣である江見河原源五郎らに室津城主に擁立される。また兄の室になるはずだった黒田職隆の娘[1]を娶り、久松丸を儲けた。 しかし、播磨国内での勢力拡大を恐れた、叔父・浦上宗景の意を奉じた江見河原によって暗殺され、これにより室津の浦上家は没落した。 [脚注の使い方] ↑ 『備前軍記』によると、黒田孝高の娘とするが、年齢が合わないため職隆の娘あるいは養女と推測されている。(橋本政次『姫路城史』) 関連項目 畿内・近国の戦国時代 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles