海北綱親

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死没 天文4年(1535年
または天正元年(1573年
別名 善右衛門
主君 浅井亮政久政長政
 
海北 綱親
時代 戦国時代( - 安土桃山時代
死没 天文4年(1535年
または天正元年(1573年
別名 善右衛門
主君 浅井亮政久政長政
氏族 海北氏
友松(五男ないし三男)、友成
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海北 綱親(かいほう つなちか)は、戦国時代武将浅井氏の家臣。

綱親の四男が後に近江国の瓜生の地に帰農したことから、この地が綱親の本拠地だったと推定される。赤尾清綱雨森清貞と共に「浅井三将」と称され、浅井家3代にわたって仕えた重臣で軍奉行を務めた。天正元年(1573年小谷城織田信長に攻められて落城した時に討ち死にしたとされる。

綱親は智勇兼備の武将で、羽柴秀吉にもその実力を恐れられた。

死亡時期

脚注

出典

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