海塚新八
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広島県人・海塚新八の長男[3][7][9]。1914年、家督を相続し、前名・卯三郎を改め襲名する[3][7]。金穀貸付業を営む[注 1]。また銀行、会社の重役である[3]。
1913年、廣島銀行取締役に選任される[1]。1918年に副頭取となって保田八十吉頭取を補佐する[1]。1919年3月保田八十吉の死後、そのあとを継いで同年7月頭取に就任する[1]。
広島産業銀行頭取、広島電気社長、広島合同貯蓄銀行、藝備銀行、日本麻紡績、広島電気製作所、中外商事、芸備鉄道各取締役、中国商業銀行、可部銀行、広島米穀取引所各監査役、広島株式取引所理事などを務めた[8][11]。1920年からは東洋コルク工業(現・マツダ)の初代社長も務めた[12]。