海神社 (神戸市)
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位置
北緯34度37分43.3秒 東経135度3分15.5秒 / 北緯34.628694度 東経135.054306度座標: 北緯34度37分43.3秒 東経135度3分15.5秒 / 北緯34.628694度 東経135.054306度
主祭神
上津綿津見神
中津綿津見神
底津綿津見神
中津綿津見神
底津綿津見神
| 海神社 | |
|---|---|
|
拝殿 | |
| 所在地 | 兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1 |
| 位置 | 北緯34度37分43.3秒 東経135度3分15.5秒 / 北緯34.628694度 東経135.054306度座標: 北緯34度37分43.3秒 東経135度3分15.5秒 / 北緯34.628694度 東経135.054306度 |
| 主祭神 |
上津綿津見神 中津綿津見神 底津綿津見神 |
| 社格等 |
式内社(名神大) 旧官幣中社 別表神社 |
| 創建 | (伝)神功皇后朝 |
| 本殿の様式 | 三間社流造銅板葺 |
| 別名 | 日向大明神 |
| 札所等 |
神仏霊場巡拝の道第73番(兵庫第8番) 播磨三大社 |
| 例祭 | 10月11日 |
| 地図 | |
海神社(わたつみじんじゃ)は、兵庫県神戸市垂水区宮本町にある神社。式内社 (名神大社)で、旧社格は官幣中社。現在は神社本庁の別表神社。伊和神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
祭神
歴史
社伝によると、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったため、皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりという。 『日本書紀』に記される広田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様であるが、『日本書紀』の当該箇所に海神社に関する記述はない。
文献に現れる最も古い記述は、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に神封戸10戸を寄進するという記述。 当所は海上交通の要地であることから、古くから海上鎮護の神として崇敬を受けた。 『延喜式神名帳』では「播磨国明石郡 海神社三座」と記載され、名神大社に列している。
中世以降、戦乱等のために社勢が衰えるが、天正11年(1587年)に豊臣秀吉が祈祷料として垂水郷山内の山林を寄進、江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬し、毎年2月に参拝するのを通例としていた。
江戸時代の初頭より「日向大明神」[3]と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に国幣中社に列格した際に「海神社」に復称した。明治30年(1897年)に官幣中社に昇格した。
高度成長期前までは大鳥居周辺は砂浜であり、文字通り「海の神社」であったが[3]、1960年以降埋め立てが行われて、大鳥居の前面は道路や漁港となった[4]。
