海軍望楼

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海軍望楼(かいぐんぼうろう)は、日本の沿岸要所に置かれた大日本帝国海軍の望楼。創設時の名称は海岸望楼であった[1]。海上の見張、付近を通過する艦船との通信気象観測、通報、天気予報および暴風警報海難報告などを掌った。

今も残る海軍望楼(宗谷岬大岬旧海軍望楼跡

職員は、当初は望楼長と望楼手は海軍軍属の文官であったが、1913年大正2年)以降、望楼には下士官兵が置かれ、必要に応じて海軍望楼長として兵科士官、特務士官あるいは准士官が配され、戦時、事変などでは臨時海軍軍属が置かれることになった。

歴史

設置

日清戦争直前の1894年(明治27年)6月30日に公布された海岸望楼条例により設置を決定[1]。海上監視、通過艦船との通信、艦船の通過報告と海難報告、気象観測と天気予報や暴風警報の掲示などを任務とした[1]。ただし、当初、これらの通信は旗旒信号や標識による有視界通信によるものだった[1]

日清戦争開戦後の同年8月4日に全国13か所の海岸や離島に海岸望楼が設置された[1]。各望楼には、その所在地名が冠称され、所管鎮守府または当該要港部に属した。

有線電信の導入

1894年8月6日に海岸望楼軍事通信規程が制定され、敵艦隊を発見した場合の軍事通信(暗号電信)等が指示され[2]、同年8月23日までに全国12の望楼に軍用電信線が開通して海岸望楼電信取扱所となった[1]。その後、公衆電報を扱う海岸望楼が漸次増やされた[1]

改称と無線配備

1900年(明治33年)5月の海軍望楼条例の施行により、従来の海岸望楼は海軍望楼に改称[1]。1905年度(明治38年度)までに25か所の常設望楼が新設された[1]。さらに日露戦争前後の1903年度(明治36年度)から1905年度(明治38年度)にかけて81か所の仮設望楼が設置された[1]。このうち53か所の海軍望楼には無線電信機が導入された[1]

廃止

海軍は日露戦争終結直後から望楼の廃止を始めた[1]。一方で逓信省は海岸局の整備を進めており、既存の電信線を転用できる海軍望楼跡地は魅力的だったとされる[1]。そのため潮岬や大瀬崎(大瀬海軍望楼)にあった海軍望楼電信取扱所は逓信省の無線電信局に移管された[1]

第1次世界大戦後の行政整理のため、1923年大正12年)10月19日鹿児島県佐多望楼の撤廃を最後として、すべて廃止された。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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