軽井沢町旧スイス公使館

長野県軽井沢町にある歴史的建造物 From Wikipedia, the free encyclopedia

軽井沢町旧スイス公使館(かるいざわまちきゅうスイスこうしかん、英語: Former Legation of Switzerland in Karuizawa / Former Swiss Legation in Karuizawa)は、第二次世界大戦末期にスイス公使館として使われていた長野県北佐久郡軽井沢町にある建造物。

旧名称 深山荘(貸別荘)
旧用途 貸別荘、スイス公使館、学生寮
建築主 前田栄次郎
延床面積 485 m²
概要 軽井沢町旧スイス公使館 Former Swiss Legation in Karuizawa, 情報 ...
軽井沢町旧スイス公使館
Former Swiss Legation in Karuizawa
情報
旧名称 深山荘(貸別荘)
旧用途 貸別荘、スイス公使館、学生寮
建築主 前田栄次郎
延床面積 485 m²
階数 地上2階
竣工 1942年
開館開所 1942年 - 1944年(貸別荘)
1944年 - 1945年(スイス公使館)
1967年 - 2006年(学生寮)
所在地 389-0102
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢字深古屋1369-21
座標 北緯36度22分20.0秒 東経138度37分31.0秒
文化財 軽井沢町指定有形文化財
指定・登録等日 2015年1月27日
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概要

1933年昭和8年)に実業家前田栄次郎が軽井沢の土地を購入して日本初の貸別荘前田郷を創業し、1942年(昭和17年)に前田郷を構成する別荘群の一棟として深山荘(みやまそう)が建設された[1]

その後連合国軍による首都圏への空襲が近いうちに始まると予想された1944年(昭和19年)夏、日本政府が在京外国人を軽井沢に疎開するよう命じたことを受けて(実際に1945年(昭和20年)の春から東京中心地への空襲が開始された)、カミーユ・ゴルジェ公使を筆頭とするスイス公使館が深山荘へ移転する。軽井沢のスイス公使館は、1945年9月に大日本帝国が降伏して外交権を喪失するまで存続した[2]。当時の軽井沢の地元の人々は、戦前から外国人居住者と接することに慣れていたため、公使館やスイス人コミュニティとも温かく接していたと伝えられている[3]

1967年(昭和42年)から2006年平成18年)まで、東京電機大学学生寮として使われたが、大学はこの歴史的建物にほとんど手を加えなかった[4][5]

2007年(平成19年)、老朽化と利用者の減少で大学による維持が難しくなったため、売却し更地にするという話が持ち上がった[5]。建物の譲渡を打診された町も移築経費の多大さなどから保存を見送っていた[5]。しかしその後、保存を求める数多くの署名運動などから、建物解体の計画は立ち消えとなり、2008年(平成20年)に町有となった。

2015年(平成27年)1月27日、本館は軽井沢町指定の有形文化財に指定された[6]

終戦時の動向の謎

このスイス公使館から1945年8月10日、ポツダム宣言受諾の打電を連合国側に送ったとされていた[7]。しかし、当時外務省軽井沢事務所長であった大久保利隆は、晩年にこの説を否定しており、「当時軽井沢から海外へ電報を打つことはできなかった」という[8]証言をしている。一方で、6月8日になってゴルジェ公使はスイス本国に対し「イミュニテカルイザワ」の言葉の入った電報を送る。これを受けて当時のスイス外交当局は、終戦直前2カ月弱の間に19通に上る「イミュニテ カルイザワ(軽井沢を爆撃しないでほしい)」という謎のキーワードが入った電報を米英やスイスの在外公館との間で送りあっていたことがわかっている[9]また、研究によって「国体皇室)をつぶすな」の意で使用していたのではないかとの仮説が示されている。それらを単純に繋げれば、ゴルジェ公使を通じて中立国スイスが米英に「国体護持」の可能性を打診し、広い意味での和平交渉を行っていたことになる[9][10]。しかし、海外へ「電報」を打つことができなかったという大久保利隆の証言の他にも、軽井沢で「ゴルジェによる和平交渉」がなされたという事柄に反する内容が見つかっていたり(つまり、軽井沢にいなかったという説があったり)、あるいは、逆に与する内容の証拠、証言も複数あり、事実は「謎」としてあり解かれていない。

なお軽井沢町誌には、「家主であった前田栄次郎は十五日以前に終戦を知り、フランスチェコスロバキア(旧)・オーストラリアの公使館では、盛んなパーティーをはじめた。軽井沢の住民たちは、だれよりも先に敗戦が事実であることを知らされていた」とつづられている[5]

施設

建物は敷地面積2100m2、延床面積485m2の一部2階建て[6]

1階に厨房ボイラー室使用人の部屋、2階中央八角形のホールの両脇に宿泊者用の部屋(ベランダ付き8畳の洋間5室、6畳洋間5室、6畳日本間5室)がある[6]

住所

〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢字深古屋1369-21[11]

関連文献

  • 高川邦子『ハンガリー公使大久保利隆が見た三国同盟 ある外交官の戦時秘話』 芙蓉書房出版、2015年
  • 『駐日スイス公使が見た第二次世界大戦 カミーユ・ゴルジェの日記』 大阪大学出版会、2023年
クロード・ハウザー校訂/ピエール=イヴ・ドンゼ解説、鈴木光子訳

周辺

出典

関連項目

外部リンク

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