深野晴美
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経歴・人物
生い立ち
1967年3月13日[1]、神奈川県横須賀市に生まれる[4]。両親は早婚だった。デビューしたころ、母はまだ若く、姉妹のようだと本人の証言が残っている[5]。兄と弟がいる[6]。
キャリア
高校在学中の1983年、原宿でスカウトされる。最初の事務所で歌のレッスンを受けたのち、ハローマイクに移る[10]。
1984年、海に関するイベント「'84マリンピック・ミスシーギャルコンテスト」で優勝。「ガラスの17歳」イメージレディコンテスト優勝[11]。
1985年、南麻衣子、小川菜摘と共に、3人組アイドルユニット『オナッターズ』で一般に認知された。「よくわかんな~い」のセリフで有名になるが[9]、お馬鹿キャラの様にみなされ、「ガラスの脳みそ」と呼ばれることもあった[12]。2月2日、映画『死霊のはらわた』のお披露目イベントに出演[13]。1985年、映画『童貞物語』の出演者らと「童貞キラーズ」というユニットを結成。リーダーは小松みどり。他のメンバーはイヴ、沢田和美、八神康子、渡辺良子、浅野なつみ[14]。この年、仕事が忙しいので高校3年生を留年している[15]。
1986年3月、高校卒業。1986年秋、オナッターズ解散[16]。
1988年、「土曜日のアマン」でソロ歌手としてデビュー。1980年代後半の売れ筋アイドル、いわゆるA級アイドルはミニスカートを穿かなくなったが、これはAVの普及に伴いアイドルが性的な仄めかしをする必要がなくなった(またはAV女優との区別が必要だったから意図的に回避)ことが原因だとする説がある。深野はこのような時代背景のもと、あえてエロに踏み込みニッチなニーズを狙った異端者としてのB級アイドルの一人であるとする文献もある[17]。『FOCUS』誌の取材に対し「早く「夜のヒットスタジオ」に出られるようになりたい。目標としている歌手はシンディ・ローパー」と述べた[18]。
エピソード
私生活
趣味の大相撲観戦がきっかけで知り合った元十両の大岳と結婚し(1994年)、滋賀県内でちゃんこ料理店の女将をしていたが、その後離婚している[21]。
フィルモグラフィ
映画
テレビ番組
ビデオ
- 水平線のマーメイド (1985年6月、ポニーキャニオン) [26]
- - オナッターズとして
- 水の中のピエロ 深野晴美スペシャル(VCA)
- Fantastic Memory(映光社)
- 危険な香り(勁文社)
- 深野晴美の短辺官能ビデオ 拳銃と乳房
- 深野晴美 IN HAWAI SCENE 死んでも恋していたい(CCA)
- - 「深野晴美の短辺官能ビデオ 拳銃と乳房」の再発
- TVアイドル 深野晴美 私のボインを見ないで(タイム・アロー)
- 「深野晴美 IN HAWAI SCENE 死んでも恋していたい」の再発、「深野晴美の短辺官能:ビデオ 拳銃と乳房」の再々発
- - 最後のビデオ
テレビCM
ディスコグラフィ
シングル
- 「モッコシモコモコ(しゅきしゅきダーリン)」(1985年6月、徳間ジャパン。詞・曲:ササキカツトシ、編曲:ビンブン)
- B面「ア・タ・リ」( 同 )
- 「土曜日のアマン」(1988年6月21日、RIV.STAR RECORDS)
- B面「そっと愛して」。『プッツンメイクLOVE Vol.6』(東映ビデオ)の主題歌[27]
アルバム
- 「オナッターズのいい気持ち」(1985年6月、徳間ジャパン)
- A面
- 1.愛して恋して夢見て(詞・曲:ササキカツトシ、編曲:ビンブン)
- 2.ア・タ・リ(同)
- 3.東京バカンス(同)唄:南麻衣子
- 4.ウキ・ウキ・マンデイ・ラブ(詞:島村聖名子(小川菜摘の本名)、曲:ササキカツトシ、編曲:ビンブン)
- 5.さびしがりや(詞・曲:ササキカツトシ、編曲:ビンブン)唄:深野晴美
- B面
- 1.モッコシモコモコ(しゅきしゅきダーリン)(詞・曲:ササキカツトシ、編曲:ビンブン)
- 2.レッツゴー!ヨコシマ(同)唄:小川菜摘
- 3.哀愁のkiss&Kiss(詞:南麻衣子、曲:ササキカツトシ、編曲:ビンブン)
- 4.恋のバッキン!(詞・曲:ササキカツトシ、編曲:クニ河内)
- 5.水平線のマーメイド(詞・曲:ササキカツトシ、編曲:ビンブン)