淵上澄雄
From Wikipedia, the free encyclopedia
岐阜短大付属岐阜高校では、エースとして秋の県大会優勝、東海大会ベスト4で1965年の春の選抜に出場して選手宣誓を務め、1回戦で東農大二高の小林邦彦(東農大三高監督)に完封負けを喫する[1]。同年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、三岐大会でも決勝に進出するが、海星高に敗退し甲子園出場を逸する。同年の岐阜国体に出場、決勝に進むが銚子商の木樽正明に抑えられ、準優勝にとどまる。
1965年ドラフト会議で大洋ホエールズから3位指名を受け入団。
1968年7月7日には中日ドラゴンズを相手に先発、8回を5安打1失点と好投しプロ初勝利。同年はローテーションの谷間ではあるが、7先発を含む25試合に登板し3勝を記録した。またイースタンリーグでは12試合登板、防御率0.13という驚異的な成績をマークしている。
1970年オフに池田重喜と共に、飯塚佳寛と平岡一郎との交換トレードでロッテオリオンズに移籍。
右の本格派で外角低めの速球に威力があり、この球でカウントを有利にした後、切れの鋭いシュートで勝負した。また大きなカーブやシンカー、ナックルも武器であった。