渡辺三左衛門
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新潟県岩船郡下関村(のち関村大字下関、関谷村大字下関、現・関川村大字下関)出身。渡辺三左の長男[2][10][12][13]。6歳の頃に父が亡くなり、同時に家督を相続する[2]。獨逸協会学校卒業[12][13]。一年志願兵として入営、除隊間際に日清戦役が起こったため出征し、功により大尉に進み正七位勲五等に叙せらる[2]。
農業を営む[1][6][10]。米坂線の誘致に尽力する[11]。関谷郷の耕地改良を指導し、1902年に上関で60町歩、1912年に下関で184町歩の耕地整理を平場地方に先駈けて実施、1913年には独力渡辺三新田で52町歩の開田整理を成功、移住数10戸、家屋、肥料を貸与し開発した[11]。
関谷村農会長[14]、新潟県農会副会頭、新潟県農工銀行、豊国銀行[12]、第四銀行、新潟貯蓄銀行、新潟信託各取締役、新潟紡績、村上銀行各監査役[10][12]をつとめる。