景綱の嫡孫で、長年名古屋城御城代を務めた渡辺元綱の子として誕生した。
元禄8年(1695年)1月29日、初めて尾張藩3代藩主・徳川綱誠に拝謁する。元禄15年(1702年)11月22日、元服して名を半十郎に改める。享保2年(1717年)5月19日、御城詰となる。享保4年(1719年)6月14日、父・元綱が病死。8月19日に久綱が家督2300石を相続、大寄合となる。
6代藩主・徳川継友に重用され、享保4年(1719年)9月11日に江戸にて江戸定詰御年寄加判に任ぜられる。翌日、通称を新左衛門に改める。同心3騎を配属され、10月8日にはさらに弾正に改名する。享保6年(1721年)7月14日には700石を加増されて、さらに2年後の享保8年(1723年)6月9日には同心2騎が追加される。享保10年(1725年)12月26日に叙任し、従五位下、長門守に任ぜられる。
享保11年(1726年)1月13日に江戸にて早世した。尾張藩重臣渡辺新左衛門家は、実弟の半之右衛門綱忠[1]が家督3000石のうち2000石をもって相続が許されることになる。