渡辺千恵子
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1928年に長崎県長崎市銅座町に生まれる。16歳の時、学徒動員[4]で働いていた三菱電機製作所 本工場(長崎市平戸小屋町、現:長崎市丸尾町[5])[6][注釈 1]で被爆し、崩れた建物の下敷きになって脊椎を骨折、下半身不随になった。1955年に「長崎原爆乙女の会」の結成に参加し[注釈 2]、それ以降、被爆者運動、原水爆禁止運動を行う[8]。1956年8月9日、長崎市で開かれた「第2回原水爆禁止世界大会」において、被爆時の体験をスピーチした。その時の草稿は今も残されている[3]。このスピーチで注目を集めた彼女は、国内だけでなく米ニューヨークでなど海外でも活躍を見せた。1982(昭和57)年第2回国連軍縮特別総会では、「核兵器は人間そのものを否定する」と述べた。1993年3月13日に死去(享年64)[9]。なお、渡辺の半生を表現した合唱組曲として「平和の旅へ」がある。
2025年4月26日、渡辺千恵子の菩提寺である長崎市寺町にある延命寺で、語りと歌で表現した組曲「平和の旅へ」が供養演奏された。2025年は、渡辺千恵子の33回忌であり、組曲「平和の旅へ」は創作40年を迎えた[10][11][12]。
著書
- 「長崎に生きる (“原爆乙女” 渡辺千恵子の歩み)」(新日本新書)ISBN 9784406058858
- 「長崎を忘れない」(草土文化)
- 「長崎に燃えよ、オリンポスの火」(草土文化、共著)
- 「長崎よ、誓いの火よ (車いすの平和の旅) 」(草の根出版会)
参考文献
- 布袋 厚『復元! 被爆直前の長崎 原爆で消えた1945年8月8日の地図』長崎文献社、2020年8月8日。ISBN 978-4-88851-348-7。