1908年、北海道根室市で生まれた。小学校を卒業後、北見や小樽などで小学校教員となった。幼少の頃から地理学に関心をもっており、勤務の傍ら18歳ごろからほぼ独学で北見のハッカ、羊蹄山麓の農業など北海道各地の実態調査を行っていた。1938年、研究を深めるために明治大学専門部文科に入学。1942年に卒業し、文部省図書局勤務に勤務した。
戦後、1946年に明治大学講師に就いた。同時に農林省開拓研究所研究員も兼任し、その調査結果はその後の開拓行政の大きな指針となった[1]。1948年に教授昇格。1961年、学位論文『日本農業における経済地域構造の比較に関する研究』を明治大学に提出して経済学博士号を取得[2]。明大のアラスカ地域学術調査団長、山岳部長などを務めた[3]。
1970年2月20日、膵臓癌のため東京都豊島区にあったがん研究会附属病院にて死去。61歳[4]。