1918年、渡辺の親戚でもある関根金次郎に入門。1922年四段昇段。
1941年八段。順位戦に3期参加した後、1949年に引退。
1948年、日本将棋連盟会長に就任。在任中の1949年に名人戦の主催社が毎日新聞社から朝日新聞社に変更されるが、これは渡辺の北海道出張中に交渉を委任された加藤治郎副会長(後の名誉九段)がやったことで、渡辺の帰京後、委任の範囲を巡って渡辺と加藤の間で一悶着あったという。1953年将棋連盟名誉会長。
1975年11月17日に行なわれた第1回の「将棋の日」において、日本将棋連盟から「名誉九段」が贈られる[4]。
1985年、心不全のため死去。