渡部司
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宮崎県立高鍋高等学校では、1967年秋季九州大会県予選準決勝に進むが、延岡商に惜敗。翌1968年夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。卒業後は石川島播磨重工に入社しエースとして活躍。
1969年のドラフト2位で中日ドラゴンズに指名され、1970年に入団。入団当時は中日のエースナンバーである「20」を権藤博から受け継がれ期待されたが、翌1971年に「22」を付けていた星野仙一と背番号を交換することとなる。1971年8月には初先発を果たし、同年は3勝を挙げる。その後は中継ぎとして起用されるが、勝ち星のないまま1979年限りで引退。
以後は中日の打撃投手となる。後に落合博満が渡部をパートナーとして打撃練習を行ない、「落合の恋人」と称された。フォームはオーバースロー。球種はスライダー、カーブ、シュート。決め球はシュート。
1995年に中日を退団し、その後は大学・社会人チームなどアマチュア野球の指導者として数々のチームを指導、現在は愛知県東海市にて「渡部野球塾」を開講している。