仏説温室洗浴衆僧経
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内容
伝来・影響
サンスクリット原典は現存しないが、20世紀、ニヤ遺跡からカローシュティー文字のガンダーラ語断簡が発見されている[3]。
中国
後漢の安世高(仮託の可能性あり[9])の漢訳が現存し、『大正大蔵経』巻16経集部に収録されている[5]。注釈書として、隋の慧遠『温室経義記』と隋末唐初の慧浄『温室経疏』が現存する[3][5][10]。唐の慧沼『温室経疏』もあったが現存しない[10]。
20世紀に発見された敦煌写本中には、本書の庶民向け講義本[3](俗講)や、慧遠注・慧浄注の異本[5][10]、本書を引用する北宗禅籍[10]、唐の道士李栄が本書に対抗して作った道教経典『太上霊宝洗浴身心経』が発見されている[3][5]。
日本
正倉院所蔵の写経記録から、奈良時代に度々写経されたことが窺える[3]。最初の写経は天平8年(736年)に行われた[4]。
本書は日本仏教の「施浴」(施湯・湯施行・功徳湯とも)に影響を与えた[1][11]。本書を背景に、僧の斎戒沐浴の場[4][9]および民の公衆浴場・湯治場として、多くの寺に「温室」(浴室・温室院・温堂・湯屋とも)が設けられた[1][4]。
本書伝来前から日本には天然温泉や禊の文化があったが、都市部の公衆浴場は、本書の影響を受けた奈良時代・東大寺の「大湯屋」が最初とされる[11]。以降、興福寺・法隆寺・元興寺などにも温室が設けられた[6][3]。光明皇后の「千人風呂」伝説や、明智光秀が妙心寺に寄贈した「明智風呂」も、本書が背景にあったとされる[12][6]。ただし、日本も江戸時代中期以前は蒸気浴が主流だった[9]。
日本語訳
- 清水谷恭順訳「仏説温室洗浴衆僧経」『国訳一切経 印度撰述部 経集部14』大東出版社、初版1934年、改訂版1990年、ISBN 978-4500000746