沐浴
からだを水で洗い潔めること
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概要
沐は水を頭から浴びること、浴は水に身体を浸けることを意味する。水や湯を用いることが一般的である。それ以外にも煙・火・香料などによりけがれを落とすことも沐浴に含める。 多くの宗教で奨励されている参拝、礼拝の前に手や足、顔、口など体の一部を水で洗う行為も沐浴の一種である。
記録に残る最も古い沐浴の習俗は、古代ギリシャのエレウシスで行われていた「神秘」と呼ばれる神秘主義者達による海での浄化の儀式である。
キリスト教では「洗礼」、日本の神道では「禊」と呼ぶなど、宗教ごとに呼び名は異なるが[1]、潔めによって聖と俗との分離をはかる、ということは共通している[1]。
沐浴を行うことの宗教上の意義は主に以下の3つが挙げられる。
ヒンドゥー教圏
ユダヤ教
全身を水に浸し潔めることは tevilah (טְבִילָה)と言う。手を水で潔めることはnetilat yadayimと言う。
キリスト教
イスラム教圏
日本
日本の神道には、滝や川でけがれを祓う禊ぎや垢離がある。神社の境内にある手水舎で行う、手洗いや口すすぎも禊ぎ・沐浴の一種と考えられる。
日本に仏教が伝来すると各地に寺が建立され、寺には沐浴の施設として温堂や浴堂が建築され、僧侶自身は勿論のこと、貧しい人々や病人・囚人らを対象として浴室を開放して入浴を施す施浴などがおこなわれた。
次第に仏教の温浴が宗教上の沐浴から切り離され俗化されて、入浴という風習にもつながった。「斎戒沐浴」。
11世紀には、海水での沐浴と思われる「しほゆあみ(潮浴・汐浴)」という言葉が書物に現れる[9]。
関西には、旧暦6月14日に住吉大社前にあった長狭浦の海水を浴びると無病息災で過ごせるという信仰が江戸時代にあり、夏の風物詩として人々が海水に浸かる様子が『摂津名所図会』などに描かれた[10][11]。「住吉の泥湯(潮湯)」と呼ばれ、明治に入ってからも、住吉大社の神輿渡御の前後数日の間に長狭の浦に身を浸せば腫物が治ると信じられ、1日に何百人という老若男女が沐浴した[12]。





