湧玉池
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歴史
湧玉池は古くは上池と下池に分けて呼称されており、以前は上池のみを湧玉池と言い、下池から下流は「御手洗川」と呼んでいた[5]。湧玉池は多くの歌人に歌われており、和歌には「御手洗川」と歌うものも多い。
また飛鳥井雅有『春の深山路』の弘安3年(1280年)11月24日条に「潤川、これは浅間大明神宝殿の下より出でたる御手洗の末とかや」とあり、実際に湧玉池の水は潤井川へ合流している。
湧玉池は古来より富士登拝の道者による禊の場とされ、富士参詣曼荼羅図にも湧玉池にて道者が禊をする様子が図示されている。絹本著色富士曼荼羅図(国の重要文化財)をはじめとして、現存する表口を描いた富士参詣曼荼羅図にそれぞれ確認されている[6][7][8]。
また慶長13年(1608年)の『寺辺明鏡集』という史料に「大宮ト言処ニトマルナリ 先ソコ[注釈 1]ニテコリ[注釈 2]ヲトル コリノ代六文出シテ大宮殿ヘ参也」とあり、当時登拝の際に湧玉池にて垢離をとっていた風習が史料にて示されている[9]。
