壬申の乱以降、天武系の皇統が続く中で、天智系の諸王は皇位継承において微妙な立場にあったことから、本心や才能を隠しつつ政争から逃れ、風流に徹した人生を送ったと想定される[4]。
『万葉集』には、ある娘との相聞歌が12首(うち湯原王作は7首)残されており[5]、その娘と激しい恋に落ちていたことを物語っているが、結局この恋は成就しなかったらしい。この悲恋は平安時代初期に成立した『伊勢物語』にも影響を与えたらしく、物語の中で「むかし男」が伊勢斎宮を思って詠んだとする歌が[6]、湯原王作の相聞歌の1つ[7]と非常に似た内容となっている[8]。