志貴皇子
日本の皇族
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経歴
天武天皇8年(679年)天武天皇が吉野に行幸した際、鸕野讚良皇后(後の持統天皇)も列席する中、天智・天武両天皇の諸皇子(草壁皇子・大津皇子・高市皇子・河島皇子・忍壁皇子)とともに、皇位継承の争いを起こすことのないよう結束を誓う(吉野の盟約)[2]。天武天皇14年(685年)冠位四十八階の制定により吉野の盟約に参加した諸皇子が叙位を受けるが、志貴皇子のみ叙位を受けた記録がない[3]。朱鳥元年(686年)封戸200戸を与えられる。
持統朝では、持統天皇3年(689年)撰善言司(良い説話などを撰び集める役)に任ぜられた程度で、叙位や要職への任官記録がなく、天皇の弟でありながら不遇な状況にあったか[4]。
文武朝に入ると、大宝元年(701年)の大宝令の制定に伴う位階制度への移行を通じて四品に叙せられる。大宝3年(703年)持統天皇の葬儀では造御竃長官を務め、慶雲4年(707年)6月の文武天皇の崩御にあたっては殯宮に供奉している[5]。
同年7月に元明天皇が即位し、再び天皇の兄弟となる。元明朝では、和銅元年(708年)三品、和銅8年(715年)二品と昇進を果たしている。

元正朝の霊亀2年(716年)8月9日薨去[6]。『続日本紀』霊亀2年8月甲寅(11日)条には、「二品志貴親王薨。遣従四位下六人部王。正五位下県犬養宿禰筑紫。監護喪事。」とあるが、これは葬儀の日であると考えられる。また、『万葉集』に笠金村が「志貴皇子が薨ぜし時に作りし歌一首」(230番)が残る[7]。
薨去から50年以上後の宝亀元年(770年)、第6男子の白壁王が皇嗣に擁立され即位した(光仁天皇)ため、天皇の実父として春日宮御宇天皇の追尊を受けた。御陵所の田原西陵(奈良市矢田原町)[6][8]にちなんで田原天皇とも称される。
人物
壬申の乱を経て、皇統が傍系・天武天皇系に移ったことから、天智天皇系皇族であった自身は皇位継承とは無縁で、政治よりも和歌などの文化の道に生きた人生だった。清澄で自然鑑賞に優れた歌人として『万葉集』に6首の和歌作品を残している。いずれも繊細な美しさに満ち溢れる名歌である。
・巻1-51 藤原京遷都ののち、皇子がかつての飛鳥浄御原宮を訪れた時に詠まれた一首
「采女(うねめ)の 袖吹きかえす 明日香風(あすかかぜ) 都を遠み いたづらに吹く」
(采女の袖を明日香の風が吹き返している。今はもう京も遠くなり空しく吹いている。)
・巻1-64 文武天皇の難波宮行幸に同行した際に詠まれた一首
「葦辺(あしへ)行く 鴨の羽(は)がひに 霜降りて 寒き夕(ゆふへ)は 大和し思ほゆ」
(葦辺を泳ぐ鴨の背に霜が降り、寒い夕暮は、大和が思われてならない。)
・巻3-267 題詞なし
「むささびは 木末(こぬれ)求むと あしひきの 山の猟夫(さつを)に あひにけるかも」
(むささびは枝先へ馳けのぼろうとして、あしひきの山の猟師に見つかってしまったのだな。)
・巻4-513 題詞なし
「大原の この市柴(いつしば)の いつしかと あが思ふ妹に 今夜(こよひ)逢へるかも」
(大原のこの神聖な市柴――いつ逢えるかと願っていたあなたに今夜逢えたことだ。)
・巻8-1418 春の盛りを喜んで詠まれた一首
「石(いは)走る 垂水(たるみ)の上(うへ)の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」
(岩の上をほとばしる滝のほとりの早蕨が萌え出る春になったことだなあ。)
・巻8-1466 題詞なし
「神奈備(かむなび)の 磐瀬(いはせ)の社(もり)の ほととぎす 毛無(ならし)の丘 にいつか来鳴かむ」
(神奈備の磐瀬の森に鳴く霍公鳥は、毛無の岳にいつ来て鳴くのか。早く来て鳴いてほしい。)
官歴
系譜
光仁天皇の即位により、春日宮御宇天皇の皇孫として二世王待遇となった皇族[19]。
- 桑原王(? - 774年) - 父王不詳
- 鴨王(? - 780年) - 父王不詳
- 神王(737 - 806年) - 榎井王王子、後に右大臣
- 壱志濃王(733年 - 805年) - 湯原王第2王子、後に大納言
- 浄橋女王(? - 790年) - 父王不詳
- 飽波女王(? - 787年) - 父王不詳
- 尾張女王(? - 804年?) - 湯原王王女、光仁天皇妃
安田政彦は宝亀3年(772年)10月に菅生王との姦通で皇籍剥奪の処分を受けた小家内親王を、光仁天皇の姉妹で天皇即位後に内親王とされた人物と推測する(皇籍剥奪後、菅生王の赦免以前に亡くなったためにそのままになってしまったとする)[20]。
孝謙上皇の寵愛を受けた道鏡を、志貴皇子の落胤とする説が『七大寺年表』『本朝皇胤紹運録』『僧綱補任』『公卿補任』などに見られる[21]。
系図
| 34 舒明天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 古人大兄皇子 | 38 天智天皇 (中大兄皇子) | 間人皇女(孝徳天皇后) | 40 天武天皇 (大海人皇子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 倭姫王 (天智天皇后) | 41 持統天皇 (天武天皇后) | 43 元明天皇 (草壁皇子妃) | 39 弘文天皇 (大友皇子) | 志貴皇子 | 高市皇子 | 草壁皇子 | 大津皇子 | 忍壁皇子 | 長皇子 | 舎人親王 | 新田部親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 葛野王 | 49 光仁天皇 | 長屋王 | 44 元正天皇 | 42 文武天皇 | 吉備内親王 (長屋王妃) | 文室浄三 (智努王) | 三原王 | 47 淳仁天皇 | 貞代王 | 塩焼王 | 道祖王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 池辺王 | 50 桓武天皇 | 早良親王 (崇道天皇) | 桑田王 | 45 聖武天皇 | 三諸大原 | 小倉王 | 清原有雄 〔清原氏〕 | 氷上川継 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 淡海三船 〔淡海氏〕 | 礒部王 | 46 孝謙天皇 48 称徳天皇 | 井上内親王 (光仁天皇后) | 文室綿麻呂 〔文室氏〕 | 清原夏野 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 石見王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 高階峯緒 〔高階氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||