湯浅宗重 From Wikipedia, the free encyclopedia 湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。藤原北家流藤原宗永の子とされる(諸説あり)。紀伊国湯浅城(現・和歌山県有田郡湯浅町青木)主。 康治2年(1143年)、所領である紀伊国在田郡湯浅荘に湯浅城を築いて、今まで居城であった広保山城から移る。 平治元年(1159年)、熊野詣で紀伊国に来ていた平清盛に平治の乱の一報を伝え(『愚管抄』)、その後清盛と共に上洛を果たして有力武将の一人となる。 清盛の死後、平重盛の子忠房を擁して湯浅城に立て籠もるが源頼朝に降伏し、文治2年(1186年)に所領を安堵される。以後、順調に所領を増やして紀の川流域まで勢力を広げ、後に湯浅党と呼ばれた。 系譜 父:藤原宗永 母:名前不詳 室:名前不詳 子:湯浅宗景 子:得田盛高 子:糸我宗方 子:上覚(四男) 子:保田宗光(七男、養子の湯浅宗光と同一人物か?)- 湯浅宗親は宗光の孫(宗重の曾孫)にあたる。 養子:湯浅宗光(千葉氏一門) 娘:名前不詳(藤並親の室) 娘:名前不詳(平重国の室、明恵の母) Related Articles