満井佐吉
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福岡県企救郡、のちの小倉市字横代[1](現北九州市小倉南区横代)で生まれる。多情多感の熱血漢であり、能弁の士であった。
皇道派に属し、1935年に永田鉄山軍務局長を相沢三郎中佐が斬殺した、いわゆる相沢事件では、軍法会議において陸士同期である相沢の特別弁護人をつとめた[1]。1936年、二・二六事件に関与したとして、禁錮3年の判決を受け免官となった[1]。これにより正六位を失位[2]、勲三等及び大正三年乃至九年戦役従軍記章、昭和六年乃至九年事変従軍記章戦捷記章、大礼記念章(大正/昭和)を褫奪された[3]。
その後、国防力の充実とアジア進出を主張する天関打開期成会を結成。1942年の翼賛選挙には衆議院議員に無所属(非推薦)で立候補、当選している。戦後、公職追放となった[4]。