源俊兼

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源 俊兼(みなもと の としかね、生年不詳 - 天永3年4月24日1112年5月21日))は、平安時代後期の貴族醍醐源氏盛明流美作守源清長の子。官位正五位下土佐守

白河朝末に蔵人治部丞を務めるが、応徳3年(1086年白河天皇譲位して院政を開始すると院判官代に遷った。

寛治4年(1090年従五位下に叙せられる。寛治5年(1091年)正月に媞子内親王中宮に立てられると、8月に俊兼は中宮少進に任ぜられ、寛治7年(1093年)媞子が女院(郁芳門院)になると、俊兼は院判官代に補せられた。同年能登守に任ぜられると、承徳元年(1097年)能登守に重任、康和元年(1099年駿河守天永2年(1111年)ごろ土佐守と、白河院政期前期から中期にかけて受領を歴任した。

土佐守任期中の天永3年(1112年)4月24日に卒去

官歴

系譜

脚注

参考文献

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