源家長
平安時代から鎌倉時代の貴族、歌人 (1170?-1234)
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経歴
人物
家長は和歌に優れ、建仁元年(1201年)に和歌所の開闔となると、『新古今和歌集』の編纂事業では事務方の中心的な役割りを担った。その一方で自らも歌人として活躍、『院後度百首』(正治2年/1200年)、『千五百番歌合』(建仁元年/1201年)、『元久詩歌合』(元久元年/1204年)、『道助法親王五十首』(年代不詳)、『洞院摂政百首』(寛喜2年/1230年 頃)、『日吉社撰歌合』(寛喜4年/1232年)などさまざまな歌合に出詠した。勅撰集へは『新古今集』の3首をはじめ、諸集に都合36首が採録されている[1]。
歌人の藤原定家や藤原家隆と親交があった。また同じく親を早くに亡くした鴨長明に同情的に接していたことが知られる。妻としたのは後鳥羽院に仕えた女房の後鳥羽院下野で、二人の間に生まれた藻璧門院但馬と共に、親子3人で勅撰歌人となっている。
日別に記録した日記では無いが、著書に『源家長日記』があり、後鳥羽院と新古今歌人との関係を記していて、和歌所開闔から見た当時の様子が分かる。