源彦仁 鎌倉時代中期から後期の皇族・公卿。順徳源氏。母は藤原範能(左馬権頭)の娘(子に彦豊王(王子加々)、尊忠(延暦寺、僧正、梶井、入江))。正三位・左近衛中将 From Wikipedia, the free encyclopedia 源 彦仁(みなもと の よしひと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての皇族・公卿。順徳天皇の孫で、無品忠成王の子。官位は正三位・左近衛中将。 時代 鎌倉時代中期 - 後期生誕 不明死没 永仁6年3月23日(1298年5月5日)改名 彦仁王→源彦仁概要 凡例源彦仁, 時代 ... 凡例源彦仁時代 鎌倉時代中期 - 後期生誕 不明死没 永仁6年3月23日(1298年5月5日)改名 彦仁王→源彦仁別名 四辻彦仁[1]、石蔵三郎宮官位 正三位・左近衛中将主君 伏見天皇氏族 順徳源氏父母 父:岩倉宮忠成王、母:藤原範能娘兄弟 彦豊王、彦仁妻 二条良実娘、三条公親娘子 忠房親王、承鎮法親王、守子内親王テンプレートを表示閉じる 経歴 文永年間(1260年代)後嵯峨天皇の第一皇女・月花門院(綜子内親王)と密かに通じていたという[2]。 永仁2年(1294年)に元服する。永仁4年(1296年)二世王としての蔭位により従四位下に直叙され侍従に任ぜられる。翌永仁5年(1297年)には4月従四位上、6月従三位、11月正三位と1年間で五階の昇叙を受ける。この間に左近衛中将に任ぜられるが、永仁6年(1298年)3月23日薨去。最終官位は左近衛中将正三位。 官歴 『公卿補任』による。 永仁2年(1294年) 3月22日:元服 時期不詳:臣籍降下(源朝臣) 永仁4年(1296年) 12月20日:従四位下(直叙)、侍従 永仁5年(1297年) 2月19日:禁色。4月10日:従四位上。6月25日:従三位。6月26日:侍従如元。11月14日:正三位 時期不詳:左近衛中将 永仁6年(1298年) 3月23日:薨去(左近衛中将正三位) 系譜 父:忠成王 母:藤原範能の娘 妻:二条良実の娘 男子:忠房親王(1285-1347) - 二条兼基猶子、後宇多天皇養子 妻:三条公親の娘 男子:承鎮法親王[3] - 後宇多天皇猶子 生母不明の子女 女子:守子内親王 脚注 [1]『増鏡』 [2]『増鏡』巻8「あすか川」 [3]『天台座主記』『諸門跡伝』では実は忠房親王の子とする。 出典 『公卿補任 第二篇』吉川弘文館、1982年 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年 Related Articles