源憲定 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代中期生誕 不詳死没 寛仁元年6月2日(1017年6月29日)改名 憲定王→源憲定 凡例源憲定時代 平安時代中期生誕 不詳死没 寛仁元年6月2日(1017年6月29日)改名 憲定王→源憲定官位 従三位、右兵衛督主君 一条天皇→三条天皇氏族 源朝臣(村上源氏)父母 父:為平親王、母:源高明の娘兄弟 憲定、頼定、為定、顕定、婉子女王、具平親王妃、恭子女王、教定、敦定妻 藤原有国の娘子 対の君(藤原頼通妾)、源則理室養子:公綱テンプレートを表示 源 憲定(みなもと の のりさだ)は、平安時代中期の公卿。村上天皇の第四皇子である一品・為平親王の長男。官位は従三位・右兵衛督。 一条朝の長徳2年(996年)右兵衛督に任じられ、従四位上から三階昇進して従三位に叙され公卿に列す。 その後は、20年近くに亘って右兵衛督を務めるが昇進は停滞し、昇叙や参議任官は果たせなかった。長和5年(1016年)後一条天皇が践祚すると、弟の頼定が従三位次いで正三位と続けて昇叙され、昇進で先を越されてしまっている。翌寛仁元年(1017年)6月2日に薨去。 人物 あまり目立たない人物だったという。『栄花物語』には、人からは女らしい方だと思われていたが、二人の女子を生ませた藤原有国の娘をはじめ、複数の女性のところに通っていたことが記されている(巻二十四・わかばえ)。 官歴 注記のないものは『公卿補任』による。 正暦元年(990年) 11月26日:見侍従[1] 時期不詳:従四位上 長徳2年(996年) 8月5日:右兵衛督。日付不詳:従三位(越階) 寛仁元年(1017年) 6月2日:薨去 系譜 父:為平親王 母:源高明の娘 妻:藤原有国の娘 生母不明の子女 女子:(996-?) - 宣旨または1014年没の女子と同一人物? 次女:対の君 - 藤原頼通妾 女子:宣旨 - 源則理室 女子:(?-1014) 養子 男子:源公綱 - 源成信の子 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『小右記』 参考文献 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年 Related Articles