源是茂
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大納言・源昇の子であったが、光孝天皇の養子になり第十三皇子となる。
醍醐朝の延喜7年(907年)二世王並の蔭位により従四位下に直叙される。延喜10年(910年)美濃守を経て、延喜12年(912年)侍従に任ぜられる。侍従を務める傍らで、信濃権守・越前権守・讃岐権守などの地方官や右京大夫を兼帯し、延喜22年(922年)に正四位下に叙せられている。
延長5年(927年)左兵衛督に遷ると、醍醐朝末にかけて伊勢権守・紀伊権守を兼ねた。
朱雀朝の承平4年(935年)参議に任ぜられ公卿に列すと、議政官の傍らで左兵衛督・勘解由長官・左大弁を兼帯する。天慶2年(939年)大弁の功労により従三位・権中納言に叙任された。
官歴
『公卿補任』による。
- 延喜7年(907年) 正月7日:従四位上(直叙)
- 延喜10年(910年) 正月13日:美濃守
- 延喜12年(912年) 正月27日:侍従
- 延喜15年(915年) 2月25日:兼信濃権守
- 延喜16年(916年) 8月29日:兼越前権守
- 延喜21年(921年) 正月30日:兼讃岐権守
- 延喜22年(922年) 正月7日:正四位下
- 延長元年(923年) 6月22日:兼右京大夫[1]
- 延長5年(927年) 正月13日:左兵衛督
- 延長6年(928年) 正月29日:兼伊勢権守
- 延長8年(930年) 正月29日:兼紀伊権守
- 承平4年(934年) 12月21日:参議、左兵衛督如元
- 承平5年(935年) 12月17日:兼勘解由長官、左兵衛督如元
- 承平6年(936年) 正月29日:兼讃岐権守
- 承平7年(937年) 3月8日:兼左大弁、讃岐権守如元
- 天慶2年(939年) 8月27日:従三位、権中納言(大弁労)。12月27日:兼民部卿
- 天慶4年(941年) 6月10日:薨去(中納言従三位)