源時方
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経歴
一条朝の初頭(987年頃)に同母兄の源時通・源時叙が相次いで出家。その後に時方は史書に現れ、一条朝前期に少納言・右兵衛権佐を歴任する。左大臣・源雅信の嫡妻腹の男子であったが、兄たちの影響を受けてか、世の中を非常に無常なものと思い、どうかすると出家してしまおうとの気持ちを持っていたため、雅信の悩みの種であったという[1]。長徳元年(995年)同母姉(源倫子)の夫である藤原道長が内覧に任ぜられて執政となるが、時方は特別な昇進に与ることはなかったらしい。
結局、長徳年間末(998年-999年)頃に出家[2]。源倫子を支えるべき兄弟が悉く出家してしまったことを嘆いた源雅信は、出家してしまった時方を訪ねて「帰りたまへ、帰りたまへ」と責め立てたという逸話がある(『栄花物語』)[1][3]。しかし、源雅信は正暦4年(993年)に没していることもあり、時叙の出家に纏わる逸話ともされる[4]。