源義重 (朝日次郎) From Wikipedia, the free encyclopedia 源 義重(みなもと の よししげ/きそ よししげ、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。源義仲の三男(『西筑摩郡誌』では次男)。通称は朝日次郎、三郎。 覚一本『平家物語』では、『吾妻鏡』での源義高に相当する人物が「義重」となっており、義高とは別人で弟とされる義重が実在するかは疑問がある。 『西筑摩郡誌』によると、木曽氏の二代目を義重としており、父義仲が戦死した後は、外祖父である藤原家国の元に匿われた[1]。伝説では覚明とともに広島県向島(尾道市)に落ち延び、そこで暮らしたとされる[2]。天福2年(1233年)義重は藤原頼経から木曽と仁科の土地を賜った。 脚注 ↑ “木曽氏”. 2022年4月3日閲覧。 ↑ 『広島県風土記』 1986, p. 237. 参考文献 渡辺則文・北川建次監修『広島県風土記』(旺文社、1986年) 外部リンク この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles