美濃国方県郡付近を本拠としたものと推測される。承暦3年(1079年)6月、同国多芸郡において源国房(摂津源氏)と合戦を繰り広げたことから朝廷より召還を命ぜられるが、これに従わなかったため右兵衛尉を解任される。その後、源義家(河内源氏)の追討を受け、9月に関白藤原師実に降伏したが、重罪として左獄に下された(『為房卿記』『扶桑略記』)。子の重実、重時は鳥羽院四天王と呼ばれた(『尊卑分脈』)。子孫は八島氏、浦野氏、河辺氏、山田氏、葦敷氏、泉氏、足助氏、木田氏、開田氏らの諸族となり、その勢力は濃尾の間に及んだ。