源長季

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時代 平安時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
 
源長季
時代 平安時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従四位上土佐守
氏族 醍醐源氏高明流
父母 父:源守隆、母:不詳
不詳
盛長長俊守俊盛雅、寛厳、仁厳
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源 長季(みなもと の ながすえ)は、平安時代後期の貴族醍醐源氏左大臣源高明の曾孫。右馬頭源守隆の子。官位従四位上土佐守

蔵人左衛門尉検非違使尉)を経て、後一条朝末の長元8年(1035年従五位下に叙せられる。長暦3年(1039年三河守に任ぜられ受領となった。

のち、右馬頭を経て、後冷泉朝初頭の永承元年(1046年)右衛門権佐に任ぜられるなど、後朱雀朝末から後冷泉朝前半にかけて武官を務める一方、この間に少納言も兼帯している。天喜2年(1054年備前守に遷ると、備後守土佐守と後冷泉朝後半から白河朝にかけて長く受領を歴任した。

承暦4年(1080年)11月12日に出家

人物

摂関家に仕える家司であると共に、朝廷に仕える官人でもあった。地方官として各地の受領を務め、地方の発展に尽くし、盗賊の捕縛などの記録のある人物で、在世中に良吏であると名を馳せたという。

藤原頼通男色の相手であり、成長しても容姿が損なわれることを防ぐために、元服して髪を結いあげることをしなかったほどであった。しかし、大酒飲みであり、のことで寵愛を失ったという(『古事談』)[1]

官歴

系譜

脚注

参考文献

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