源頼房 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代中期生誕 不詳死没 不詳別名 荒加賀 凡例源頼房時代 平安時代中期生誕 不詳死没 不詳別名 荒加賀官位 従五位下、蔵人、兵庫助、加賀守、肥前守氏族 大和源氏父母 父:源頼親兄弟 頼成[1]、頼房、頼遠、頼基、頼怡妻 藤原嬉子女房子 頼俊、親宗、為房、清仁親王妃テンプレートを表示 源 頼房(みなもと の よりふさ)は、平安時代中期の武将。大和守・源頼親の次男。官位は従五位下・加賀守。荒加賀と呼ばれた。 加賀守任期後の永承4年(1049年)12月、長らく対立関係にあった興福寺の大衆が国司である父・頼親の邸宅に攻め寄せ、頼房がこれに矢で応戦して多数の僧を殺害したことから、激昂した興福寺の訴えにより翌年(1050年)正月、頼親は土佐国に、頼房は隠岐国に配流されることとなった(『扶桑略記』)。 康平5年(1063年)12月、赦免されて、本位に復する。しかし承保3年(1076年)、再び興福寺の訴えにより肥前国へ配流となり、同地において間もなく没したという。 系譜 父:源頼親 母:不詳 妻:藤原嬉子(後冷泉天皇生母)女房[2] 男子:源頼俊 生母不明の子女 男子:源親宗 男子:源為房 女子:清仁親王妃 脚注 ↑ 奈良県史所収『越智氏略系図』と戦国大名系譜人名事典所収『越智氏系図』)によると父と記されている。 ↑ 早稲田大学本『後拾遺和歌集』の勘物によれば藤原嬉子(後冷泉天皇生母)に仕える女房であったという。 関連項目 大和越智氏 Related Articles